コメンテーター、youtuberとしても活動している小原ブラスさん。
今日は小原ブラスさんの生い立ちについて調査しました!
(本記事はアフィリエイトを含む場合があります)
小原ブラスさんの生い立ち
幼少期
小原ブラスさんはロシアの当時のハバロフスクで産まれました。
ご両親は二人ともロシア人です。



しかし、1992年以降はロシアにはお金がなく、ご両親もお金の件で喧嘩が増え、
小原ブラスさんが4、5歳のころに離婚します。
通っていた幼稚園をあっちこっち変えられ、ご両親が小原ブラスさんを取り合っていたそうです。
ロシアの伝統芸能をしていた母が仕事で日本を訪れた際に、
父親となる日本男性と出会い、再婚します。
再婚のタイミングでロシアから日本の姫路市の「広峰保育園」に通いました。
小学校時代
通っていた日本の公立小学校ではいじめはほとんどなく、友達が多かったそうです。
ご本人曰く、あえて目立たないようにしていたとのこと。
「自分が周りの人とは違うとわかっていたから。」
音楽の発表会も人数の多いリコーダーをあえて希望し、徒競走も2位か3位になるようにしていました。

小学校低学年のころは父親が神戸空港の砕石の会社を経営しており、
裕福な家庭だったそうです。車はベンツで毎週末旅行に行ったり、美味しいものを食べたり。


しかし、それも小学校4年生の時に終わりが来ます。
神戸空港の完成に伴い、会社が倒産。
家族は長野県の生坂村へ夜逃げします。
生坂村や千葉などに移動していて、小さいマンションに引っ越したり、ボロい一軒家に住んだりしました。
小原ブラスさんはこの時期が一番楽しかったそう。
家族一体で頑張るぞ!という団結力が幸せに感じ、
お金はなくても家族が一緒なのが楽しかったとおっしゃっていました。
中学校時代
中学校も日本の公立中学校に通います。


そこで好きな人ができ、「負けたくない」一心で、
古文・現代文・漢文で学年1位を取得。
好きな人は男の子でした。

高校時代
高校では普通科クラスでしたが途中で特進理系クラスに進みます。
高校生の時にニコ生はスタートさせ、人気を呼びました。
ロシア人が関西弁バリバリで変な配信してたら人気でますよね(笑)
ニコ生は弟も出てたりしていました。

ニコ生で人気を得て、東京でもニコ生の仕事が増えラジオ番組を持っていました。
当時の月収はなんと70万!!!
しかし、半年くらいでアンチコメントに耐えられなくなって辞めて普通の会社員として
就職します。
会社員からタレント活動へ
会社員時代は会社を辞めたい人の話を聞いて退職を阻止する人事の仕事をしていたそうです。
(22、23歳でこういう仕事できるの凄いですよね)
仕事をしているうちに思うこと、考えることを当時のTwitterで呟いていたところ、
スカウトの連絡が来るようになります。
が、アンチの件で絶対人前での仕事はしないと決めていましので、
全てお断りしていました。
その中で女装家の方がしつこく連絡してくるため、1度だけ会って話をしました。
内容はタレントとして活動し、コラムも書いて欲しいという要望でした。
もちろん小原ブラスさんはお断りして、池袋の居酒屋を出ますが
すぐ女装家の方からのメールが届きます。
「ブラス、今、僕のこと見て勃〇してたでしょ」
卑劣なメールに怒り、すぐ居酒屋に戻ります。
どうしても戻ってきて欲しいという思いから卑劣な言葉を使う女装家に
「この人おもしろいな」と思ったそうで、そこからタレント活動を始めます。
この女装家というのは優秀で変なマネージャーで、どんどんTVで活躍することになります。
タレント活動で試行錯誤していた時に、
花園神社に行き、「男は一切できなくていいです。その代わり芸能の仕事をやっていきたいからお仕事をください」とお祈りをします。
そして、一週間後に「5時に夢中!」と「アウトデラックス」の仕事が決まります。
まとめ
順調にタレント活動やYouTubeをしていたかのように思えますが、
ロシア政権問題でも難しいところのコメントを求めらたり、誹謗中傷を受けたり、
様々な思いで今も活動を続けられているようです。
もしかしたら日本人より日本人の心がある方なのかなと思いました。
真面目な話もするし、ふざけたりもするし、魅力満載の小原ブラスさんです。
※写真は全てyoutubeからお借りました。
小原ブラスさんのyoutubeはこちら。