野球界だけでなく、高学歴・文武両道の象徴とも言える元日本ハムの宮台康平選手。
宮台康平さんが司法試験に一発合格されました。
そんな彼を育んだ背景のひとつに、父・宮台忠さんの教育・指導観があります。
今回は宮台康平さんと父とが歩んだ道、家族の教育方針を紐解いていきます。
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パッと読むための目次
宮台康平の概要

引用:https://www.jiji.com/jc/d4?p=mdk126&d=d4_ftee
父・宮台忠の存在と影響

引用:https://baseballking.jp/yakyuiku/181778/
(1) 経歴・背景
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宮台忠さんは、神奈川県の高校野球強豪校である 横浜翠嵐高等学校の学生監督を務めたこともあるなど、野球に携わる教育者。
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教員として働きながら、自らの子育て・野球指導に “教育者視点” を持ち込んでいたことがインタビューで語られています。
(2) 子育て・教育観
いくつか印象的なエピソードがあります。
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保育園最後の親子リレーで、息子・康平くんが本気で走っているのに、自分がゴール前でスピードを緩めた結果、「おれが一生懸命走ったのに何で台無しにするんだよ!」と怒られたという話。忠さん自身、「あれは反省しましたね」と語っています。
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小学1年からスイミング、中学前まではサッカーも習っていた康平くん。野球は親が「ぜひやってほしい」と思っていたスポーツだったものの、本人のペースも尊重されていた様子。
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「勉強しなさい!」とはあまり言わず、しかし「ある程度の成績を取れなければ、自分が苦労することになるぞ」という言葉は伝えていたと。忠さんは「結構強く言ったこともあったので、康平は『おれ、中学に行きたくないよ』と嘆いた事もありましたね(笑)」という。
このような「子どもの主体性を尊重しつつ、成長への基盤を親として組んでおく」姿勢が、康平選手の“文武両道”を支えた土台と考えられます。
父と息子に見る「文武両道」の具体例

引用:https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20231017/se1/00m/020/006000c
(1) 学業 × 野球の両立
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康平選手は東大法学部という学業の頂点を目指しながら、硬式野球で投手として活躍しました。
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実際、日米大学野球代表にも選出され、東大出身選手として希少なキャリアを築いています。
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「プロ野球選手になる」「大学を出る」という二つの道が明確にあった中で、忠さんが「まずは高等学校は公立でいいんじゃないか」と考えたという教育判断。
(2) 親・指導者としての役割と限界
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忠さん自身が野球指導者・教育者という立場にあったため、「野球させたい」と同時に「勉強も」という視点が自然にあったようです。
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ただし、「あまり ‘勉強しなさい!’ と言わなかった」と忠さんが語っている点。親が「自分の価値観を押し付けすぎない」姿勢が、息子の意欲を引き出す鍵になっていた可能性があります。
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また、子どもが本気でやっているところを大人が邪魔してはいけない、という忠さん自身の反省も、親としての柔軟さを示しています。
(3) 成長のハードルと乗り越え方
康平選手は高校2年で投手一本に専念。肩を痛めるなど怪我の経験もありました。
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その中で、忠さんの支え・家庭の理解・息子の自律があってこそ、学びと野球の両立が実現できたと考えられます。
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親として「子どもが自分で考え挑戦できる環境を整える」ことの重要性が、ここでは鮮明に浮かび上がります。
まとめ
「宮台康平と父」という物語は、どんな親にも、どんな子にも通じる学びがあります。
完璧でなくてもいい。ただ、お互いを信じて歩み続ける――それが本当の“文武両道”なのかもしれません。
