【ブックレビュー】 恐山-死者のいる場所 南 直哉

【ブックレビュー】
恐山-死者のいる場所
南 直哉

恐山は、青森県の下北半島にある霊場で、福井県の永平寺と同じ曹洞宗のお寺です。

恐山には、いたこさんと、いたこさんに会いたい方が集まってきます。
恐山に来た人は、いたこさんに何をしてもらうのかと言うと、亡くなった方と再び会話をするためにやって来るのだそうです。

亡くなった人と本当に会話をすることができるのかと言うと、いろんなエピソードがいくつも書かれていて、私は本当にできるのだろうなぁと感じました。

曹洞宗では死後の世界を「ある」とも「ない」とも言えないと言う教えがあるそうです。

でも、恐山の場合は曹洞宗のルールに則っているだけでは言い表せないいろいろな出来事が起こります。

曹洞宗のルールが恐山を作っているのではなく、生きている人たちがいたこさんや恐山が必要でやってくる場所なのだそうです。

死者と会話をしたいのは今生きている人であり、今生きている人の心の中に満たされないものがあって、それを塞ぐために死者と会う必要があり、いたこさんの力を借りるわけです。

恐山にはその他にも多くの悩みを抱えた人がやってきます。

その悩みを抱えている人は、「何もしなくてもありのままのあなたでいいよ」と言うメッセージを子供時代にもらえなかった方々だったりします。

何か自分が貢献しなくてはいてはいけないと言うような取引で生きているような子供時代を過ごしている人は、ある時何らかの形でそれが病気となって生きづらさとして現れます。

他にも、DVを受けていたり暴力的な家庭の中で育ってしまって、本来の子供時代を過ごせなかった子とかにも、問題が起きて恐山にやってきます。

私がこの本を読んで、南直哉さんの柔らかい感性に興味を持ちました。

永平寺で20年修行した経歴や、宗派をとらわれない考え方や、これからの仏教のあり方お葬式のあり方、お墓のあり方などを考えて、新しい時代に即した死のあり方を考えていらっしゃるところです。

時代の流れとともに、お墓やお寺のあり方も変わっていきます。
リアルのつながりから、SNSやインターネットを介した広いつながりに私たちの世界が変わってきて、死やお墓、仏教のあり方もだんだん変わっていくことをお坊さん自身がしっかりと考えていらっしゃることを感じました。

南さん自身に不安があることで、人の悩みに寄り添うことができて、曹洞宗のルールにとらわれず、相手に寄り添いながら、訪れてきた人の不安を聞いていくお坊さんなのです。
…そのあり方が、なんとも等身大でいいなぁと思いました。

南さんが修行僧時代に「死んだら人はどこへ行くのか」と言う質問を、当時仕えていたお坊さんから聞かれたそうです。

その時に言われたのは、
「人は死んだら自分が愛したところにいくのだ」
と言う言葉だったそうです。

この言葉を読んで、私はやはりgiveの精神で毎日を過ごして、周りの人を大切にしていきたいなーと思ったのでした。

以上、ブックレビューでした!

via PressSync

投稿者プロフィール

林 薫(はやしかおる)
林 薫(はやしかおる)
このブログを運営している林 薫(はやしかおる)です。成長促進と未来志向で成長のお手伝いをしています。カウンセラー、コーチ、成長のお手伝いをするチームのコンサルタントをしています詳しいプロフィールはこちら